太陽の恵みの下で泣き笑い
2 Jan 2009
今年の撮影はまだ白紙。まずは昨年の撮り納めのまとめから。
往路 116A は B3。W の代理に選べる B も、じき減るだろう。先を急いでいたので写真はないけど、せめてと思って JR 700 のロゴが去るとこだけは見送った。
例のハプニングの後、なんとか30分遅れで宿に入れた。
今回はこちら→アリエッタホテル&トラットリア。10月の博多祭りで使った宿と同じグループ。設備が激似なわけだわ。この系列は風呂が広いのが最高。睡眠環境もいい感じ。
でも選んだ理由は、ここが五反田で便利だから。翌朝の移動的に。
その翌朝。
東京の日の出は 06:50。9A 送り込みの通過はその少し後。タイミングが合うかどうかは、まさに運次第。
50分の時点では光量が足りない。ちょうど陽が昇る方向にマンションらしき建物がある。時間までにそれを越えてくれるか。先行車両で構図合わせをしつつ、思い通りの光線状態が来ることを祈って待つ。
通過1分前。建物の上から、オレンジの輝きがわずかに顔を出した。大きく弧を描くレールの曲線が、暖かな色に染まり始める。
こうして、お年賀用ベストショット捕獲と相成った。
派手な音をたてて通過する W9 を追いかけ、東京タワーへ向かう後ろ姿をつかまえた。
冬の朝、東以外が暗いのは判ってたけど、思わず。
望遠の限界まで追うと、新幹線よりタワーの方が圧倒的にでかいという、当たり前のことにも気づいたりして。でも長さはいい勝負。
朝食後仮眠し、宿を出たら品川から東海道線へ。体力温存したいという心理が、ついグリーン車を選ばせる。
降りたのは平塚。バスターミナルの地下で空きロッカーを発見、予定していたバスにすれすれで乗り込めた。目を疑うような隘路を縫いつつ、丘の上の終点に到着。
日向岡という地名を知ったのは少し前のこと。運が良ければこの近辺で 29A と 9172A が離合する可能性があるというので、9172A が走る日を待っていたのだ。
見晴らしが良く近隣に迷惑をかけない場所を探し、動画用コンデジの足元を固めて、ひたすら待つ。先行の数本を観る限り、目の前ですれ違う可能性は充分にある。さあ、そろそろだ。録画開始。
…結果。おおよそ定時で現れた 9172A が消えてから、1分程遅れてしまった 29A が現れるまで、その差わずか34秒。惜しい! 29A の遅れがもう少し控えめだったら、本当に並びが観れたかもしれない。あぁ、帰省ラッシュピーク日でさえなければ…。
ちなみに、防音壁低い区間が16両分ぎりぎりなのと、どーんと立つ鉄橋のおかげで、絵的にはあんまりいいスポットとはいえないようで。とりあえず来た記念に、唯一まともに16両撮れた300をば。
すぐさま取って返して新横浜。9187A 担当の W8 を到着から発車まで見届けて、500納め。来年(もう今年だ)も可能な限り乗るからよろしくね!
ランチを買って 37A で帰る。なにげに初体験、B 編成グリーン。
壁の白さと枕がないことを除けば、西車らしい落ち着きがあってありがたい。通路側にもかかわらずまったり。そして日向岡の三角屋根が車窓に見えた瞬間、目の前を上り車両が横切った。あぁ、きっちり2時間前の 29A が定時だったら(しつこい)。
この時点では知る由もない。40分後からついてくるはずの 9249A に悲劇が訪れようとは…。事態を把握したのは、新大阪コンコースにあふれかえる人々と、いやーな感じを漂わせる電光掲示を観た後だった。
もし飛び込みが1時間早かったらと思うと、自分は運良く逃げ切っただけだったんだろうな。たとえ未曾有の不況が原因であろうとも、人生の最期で何十万人に迷惑をかける人にわたしは同情できない。
運がいいのか悪いのかよく判らない、2008年の新幹線追っかけはそんな感じで終了したのであった。幹鉄の道は一本道、本気でハマってさあ大変な1年でしたなぁ。まだまだひよっこ、未訪の地も多いので引き続き精進します。あ、でもほどほどに。
Comments
品川から平塚グリーン車ってすげーブルジョアだな。
そして日向岡って撮影ポイントなのか。めちゃめちゃ家のそばですw
あらま。湘南やから近そうとは思ってたけど、そんなに近所すかw
>G車
足伸ばしたかったから…^_^;
てか、キャリーバッグ持って普通車にいると地味に邪魔なのですよ。
新幹線って新しい幹線じゃないですか。
新幹線を幹と略すことに違和感があるのですが、何故に略すと幹なんでしょう?
博多総合車両所の略号が「幹ハカ」なので、
言い出しっぺは国鉄(当時)のような気がするですよ。
確かに、切符とかでも○幹とか見るような気がする。
そういや大井とか鳥飼も「幹」でしたわ。
九州にもそのうち増えるんかな?
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