快晴スカイビューへようこそ (2) となりあう戦い

本気連休モードに入るので、ちょっと更新が不定期になったりならなかったりするかも。とりあえず今日のところは昨日の続き。

下車が済むと、ほどなくして鉄人は回送で足早に去った。

ラピートで終点という時点で、もうおわかりですね。ここは関西空港駅。


日曜の正午頃というのはそういう時間帯なのか、人影は非常にまばら。あまりにもかすかな記憶をたどりつつ、コンコースを見渡す。JR と南海がまさに隣接している、それは覚えていた。だから色分けも対照的。南海はオレンジ、青いのが JR。
案内板の裏、これから飛び立つ人に贈ることばに気づいた。

Bon Voyage! ふむ。背景の絵柄ははるかロゴの流用やな。

一方…そこで日本語か!

改札を出て、さてどっちへ行こうかと歩きかけて、ふと振り返る。

電車ピクトの色褪せっぷりに歳月を感じるのは意地悪だろうか。
手書きのポスターには、「ひまつぶし」にりんくうを巡るプランが書かれていた。わたしも概ねそうするつもりだった。この時点では。

そうだ、駅を撮っていこう。断片的に残された思い出が、わたしを呼んだのかもしれない。広い空間を見回して、レンズをつけかえる。

広さと天井の高さ、伝わるかな?

受験前日。震災で不通の新幹線のかわりに乗った飛行機は関空便だった。到着ロビーまで長い長い長い通路を歩き、ようやくたどりついた駅で、あの時ははるかに乗った。

はるかかラピートか。いや、快速もあるからとりあえず JR か南海か。2択する地点は、きっと当時とさほど変わらない。

厳密にはこっちの段階で選んだわけだが。あの頃、少なくとも J スルーカードはなかったし、スル関もどうだか。そもそも、九州から来た人がプリペイドカード持ってるわけがない。
JR 側で一番大きい文字が英語だったのが、やけに印象的。あるいはこの時点で、乗客の国内外の住み分けが行われているのだろうか。


MCMXCIV。多分「1994」だろうなと、その場で推測したのは正しかった。開港から16年、ある意味で今が旬かもしれない関空。では、いよいよお楽しみの本番へ。

めまいがするほど青い空がわたしを待っている。

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