ふるきをたずねて (4) いつか来た道 / 1994.08

昔話シリーズなんやけど、これは唯一「現在との比較」が遠出せずにできた。ぱふゅ買いに行った帰りに立ち寄った、最新の写真と並べてみる。


六甲道駅。これを撮ったのはわたしではない。
ある理由から一念発起して、それまで深く考えず外大志望だったのを完全に切り替えた第一志望の大学。その近隣を、父が出張ついでに下見してきてくれた時のもの。

この付近で撮った今の姿。わたしが知ってる方の顔。

数ヶ月後。センター試験の自己採点を終え、模試でも出なかったようなハイスコアに満足して帰宅すると、TV の向こうが燃えていた。にわかに現実の話とは信じられなかった。
写真で観て三角モザイク模様が印象的だったあの高架が、そのまんま真下に落っこちている映像を観たときの、言葉にできなさは今も覚えている。

同じ大学を受験予定だった同級生たちが揃って地元に乗り換えたと、直後の三者面談で先生に言われた。あんたもそうしなよ、という意味だったのだろう。わたしは首を縦に振らなかった。あの学部に通う自分しかイメージせずにやってきたのだ。それになんとなく、大変な時だからこそ神戸に背を向けたくなかった。
両親にも反対されたが結局、住む家が見つからなければ地元に行く、ということで話がついた。

その後無事合格し、実家が関西に移るまでの間、東灘区の果てに住んでいたことは、だいぶ前に書いた通り。1人じゃ微々たるものだが、買い物も食事も飲み会もほぼ全部市内でしていたから、少しは地域経済の復興に貢献できただろうか。

入学寸前に JR は復旧を果たし、駅前も見慣れた光景になった。その復旧がどれほど奇跡的なスピードだったか知ったのは、随分後のこと。

当時との大きな違いは、わたしが卒業した後に南側の再開発が猛烈に進められ、高層マンションが駅越しにそびえるようになったこと。でも、逆に言えばそれ以外はほとんど変わってない。

いつも使っていた16系統が、十数人の列を飲み込んで去った。

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