実録・おひとり様物語 追跡編 (6) 東海道七変化

夜中に書いてて寝落ちしかけたので、ゆっくり書くことにしたわ。という静岡ツアー、一応終盤。でもこの章は、最後の祭りの前の宴みたいなもん。


新居町に戻った。小さな駅だが、「新快速」が停まるらしい。

改札上の表示に、New Rapid と出た。同じ種別名のやつでも、西日本では Special Rapid。東海エリアでは特別快速があるからだな。ともあれ、その New Rapid が一気に大垣まで行くようなので、ありがたく使おう。ホームで到着を待つ。
…あれ?
そういや、此処らの新幹線は地平を走ってるよな…てことは、だ。

ホームでも撮れちゃうんだな。ま、湖と違って風光明媚ではないが。

その N が去ってすぐ、新快速が来た。

昨日も乗った313。今度は転換クロスシート。長距離にはこの方が落ち着く。しかし、どうせ長距離ならいっそ米原まで行ってくれればもっと楽なのに、と思うのは無精者の発想だろうか。乗り換えるのも気分転換にはいいけどね。

今回、昨日からずっと気になっていることがあった。
静岡〜吉原。吉原〜富士川。そしてこれ。
つい癖で先頭車に乗ってしまったが、そのどれもが全部、乗務員室に2人入っていた。しかも組み合わせはすべて、若そうな運転士と、横で立ってるベテラン風。
最初の時なんか、2人揃って大声で「じこく、おーらい、しんこう、はっしゃ!」て毎度毎度指差し確認をハモるもんやから、存在感抜群。もはや一種の振り付け。って、手順通りにするのが仕事だからそれでいいのか。

彼らが気になるのだろう、真後ろの展望席(運転席背後の窓)に、学生さんらしき女子が張り付いていた。気持ち判るよ。わたしも体力あったら張り付いてたよ。今ちょっと無理やけど。
その様子と、車窓(主に新幹線側)をぼんやり眺めていたら、もう豊橋に来ていた。運転士が立ち上がり、片付けを始めた。それからベテラン氏とともにホームへ出ると、入れ替わりで1人だけ入ってきた。さっきの彼の「研修(仮称)」は此処でとりあえず終点らしい。上司らしき人と話しながら、運転士の卵氏はホーム後方へ向かって去った。

名古屋の赤い電車や、見慣れぬ緑模様の電車を、追い越し別れながら新快速は進む。
日中の東海道を在来線でゆく。上りは2回やったけど、下るのは初めて。いつもあれ乗ってたもんな。

静岡地区の時刻表でもれなく見かけた種別表示は、どうしてもそれを思い出させた。

寝不足がたたったか、三河安城と岐阜の間で記憶が飛んだ。そこからなんとか持ったのは、乗り換えごとに座席だけは確保したいという気力だろう。ただ、いくら18きっぷシーズンとはいえ、夏や冬によくやった大垣ダッシュは必要なかろう、という読みがあったのも事実。
ほどなく、その大垣に到着。記憶にないエスカレーターを昇り、2番線へ急ぐ。回送電車を挟み、やがてまたもや117があらわれた。

寝ぼけ眼で駆け上った階段って、あれじゃなかったっけ?

少しずつ、あの頃の旅の記憶が戻ってくる。
乗車待ちの列は、やや大きい荷物を抱えた20代くらいの人が多い。きっと皆18きっぷ使いに違いない。いつか来た道やなぁ。また来れるとは思ってなかったけど。
クロスシートを反転させて進行方向に座る。斜め前に座った人の紙袋には「萩の月」。上には上がいるもんだ。


かつて観たのとほとんど変わらない風景。そもそも、国鉄と呼びたくなるようなレトロな雰囲気の車両が走っていること自体、むしろ変わらずにありたいという意思表示にすら感じられた。
家康の陣地や、解け残った雪の塊を車窓に映しながら、40分ほどで米原到着。

もう13時が近い。駅弁の列に並んでいたら、新快速登場。

223を観て「あー帰ってきたー」と思うってことは、わたしも立派に京阪神の人間やな。
8両めに荷物を置き、弁当を買ったら、後ろから何か来た。

増結するとこだった。これで12両。同じ東海道線上でも静岡では3両だったわけで、本当に地域差があるよな。それもまた醍醐味。

時間帯のせいもあり、弁当は3択。「近江の味」はまぁ、それなりのお味。

そんな「それなり」を食べていたせいで、発車していきなり目に飛び込んできた WIN350 たち実験車両の展示を見事に撮り逃したのは、相当の不覚であった。そういえば米原に1両寝てるって聴いたことあったよ…。
そのかわりと言っては何だが、彦根で大量に転がっている西武の車両は物珍しく眺めさせてもらった。後で調べて判ったが、こんなとこにも系列企業がいるのね。

食べ終わったら眠気が来た。そりゃそうだ、4時間も寝てない状態で朝から強行軍。いくらなんでも寝過ごすことはないだろうから、ちょっと休みますよ。

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