実録・おひとり様物語 再生編 (3) 桃色王国

旅を終えて家に戻ったらケーキが待っていた。いつもの某店 T で母が並んで買ってくれたとか。ありがたや。列の前の人なんか、お持ち帰り時間(ドライアイスの量)2時間て言ってたらしいよ。往復4時間の価値があるケーキ。さすが T。
さて、この章は電車じゃない乗り物の話。かろうじて「鉄道系」と言えなくもないが、ちと無理があるか。

博多口へ出て、バス停を探す。駅自体が工事中で防護壁に阻まれ、少々判りにくかったが、無事発見。此処から、天神界隈を含めて循環する100円バスというものがあるのを、数日前に知った。とりあえずそれを待つ。すると。

あー、やっぱり。

どっちを向いてもバス、バス、バスのオンパレード。さすが西鉄。そんな中やってきた100円バスは、マルタイのラッピングだった。派手だけど、なんかイメージ違う。

博多では余裕で座れたのだが、途中のキャナルシティから大混雑になった。大半が買い物帰りの女子。そして、そこから天神まで延々と渋滞。もはや名物と諦めるほかない。

天神バスセンター前から数分歩けば宿に着く。チェックイン後、着替えて出発。宿のすぐ近くにもバス停はあったが、ヤフードーム方面の本数が少ないので却下。渡辺通4丁目、どうしても FM 福岡を思い出す懐かしい響きの交差点を越え、再びセンター前へ。
が、そこでようやく重要なことを思い出した。
よりによって、この日はホークスの試合日だったのである。ナイターを観に向かう人で、周囲はものすごいことになっていた。一瞬たじろいだが、人員整理に立っていた係員に聴いたら、センターから出る直行便も、渡辺通を北上してくる便も大差なく、先にバス停に着いた方が先に着くだろうという話。

幸い、すぐそこにドーム方面のバスがいた。しかし、バス1.5台分前進するのに5分以上。さすが天神。どうにか潜り込み、隙間をすりぬけて運転席斜め後ろの柱をつかまえた。ひとえに両替のためだったが、満員御礼で多くの客を積み残し、中ドアが開けられない状態に陥ったので、もみくちゃを逃れられて助かった。
都市高速の手前までまっすぐ進む。交差点の向こうに KBC ビルが見えた。壁には、懐かしい顔と番組名。形は違えど、あの頃の支持層がきっと今も健在なんだな。

そして夜。ライブ後に長居する理由もなく、出口が近いのをいいことにさっさと出たら、ドームの階段を下りる人波が。終了時刻まで野球とかぶってしまった。これは大変。天神方面のバス停へ急ぐと、着いたとほぼ同時にバスが来た。乗車口が広いせいなのか、西鉄の伝統なのか、福岡県は昔から乗車時に並ぶ文化が希薄だ。車体や手すりに押し付けられながら、流されるように乗車。気づいたらまた最前に来ていた。
それにしても、ホークスファンの年齢層はきわめて多様だった。若いカップルも、おっさんも、家族連れも。なんだかんだで、地域密着球団になってるんやな。
高速を渡る、広い車窓の向こうに、博多や天神の夜景が広がっていた。

翌朝。次のイベントまでには少々時間があるので、溢れるバスを撮りたくなった。だって、あまりにも多いから。笑っちゃうほどに。

例1。8台写ってます。

例2。4両編成。もう繋げてやりたい。どうせ皆キャナルから博多駅行くやろ。

例3。バス停も3連(地下通気口の向こうにもう1個)。全部「天神大丸前」。


この巨大なバスセンターがある以上、放っておいても勝手にバスが集まってくる。むしろセンター素通りのバスの方が多いかもしれんので、1台バスを観たら30台…も、あながち否定できない。
ただ、西鉄バスといえばこれ、としか言いようのない特徴的なカラーリングは、いずれ消滅する。100円バスを調べたとき、新デザインがこの5月から導入され、ゆくゆくはそちらに統一されるとの告知が西鉄サイトに載っていた。

つまり、次いつ来福するか判らないわたしにとっては、見納めかもしれない。芯まで馴染みきっていたものが消える寂しさは、電車もバスも同じ。

昼過ぎ、100円バスで博多へ戻った。

駅前はあまりにバス停が多すぎて細かく分散してある。だから、此処はシンプルな停留所の形。赤・青・白の四角い標識、せめてこちらはずっと変わらずにいてほしいな。

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