祭りと平穏の節目 (9) 京都でいと・4

ちょい前まで寒い寒い言ってたのが嘘のように、最近どっちかっつーと暑い。昼間とか窓開けてるし。そういや実家にこたつがあった頃は、5月連休にしまってた。やはり立夏も季節の変わり目ですな。
では本日も花灯路の巻を引き続き。

以前来た時同様、人大杉を避けて清水の手前まで行ったら戻る。

そういえば前は行かなかったかも、と高台寺付近に来てみた。

ふと公園を見下ろすと、そこに見えたのは祈の一字。あぁ、ここだったのか。鎮魂と復興を願う灯りが会場エリア内にある、ということだけは把握していたので納得。
そういや、昨年は中止と聴いて京都立ち寄りを断念したのに、規模縮小しつつ一応ライトアップは実施したと後で知ってがっかりしたものだった。荒んだ時世に人の心を和ますものに関して、なんでもかんでも中止とは如何なものかと思ったりしたわけで。

なお、高台寺本体は行列が長かったので結局また回避。

階段を降り、先程上から観た公園内へ。

なんだかユーモラスな顔のようにも見える、焼き物の灯り。会津の瓦燈というものらしい。

暗いからここぞとばかりに絞り開放で勝負、といっても F2 はシビアやわー。

そこからまた路地散策コースに復帰。

この手の灯籠になると、別にイベントじゃなくても常時吊ってあってもおかしくないレベル。それが京都。

石塀小路のクランク(と呼んでいいのか?)は今年もいい空気を醸し出していたが、いかにも風景専門に撮ってそうな人とかが超ごつい三脚を構えていて、恐縮しながらささっと通る。1日あたり3時間半の点灯時間も、彼らにとっては何時間あっても足りないのかもしれない。

いわゆる名所だけでなく、道の片隅に風情あるアイテムがさりげなく転がっている方が、自分としてはツボに近い気がする。

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